幸いなことに、2023年4月現在、わりとまっとうな会社で働くことができている。20年近い社会人生活のなかで、そうはっきりと口に出せるのは初めてだ。
まっとうとはどういうことか。例えば、女性の管理職が大勢いること。そもそも社内の半数以上を女性が占めていること。役職や立場、年齢に関係なく「さん」付けで呼びあうこと。怒鳴り散らかしたり、人を罵る言葉が飛び交ったりしていないこと。そういった環境を示しているつもりだ。
こんな「当たり前」であるべきことが守られていない、終わった会社しかこの国にはないのかとゲンナリしていたが、ようやく「大丈夫かも」と思える場所に落ち着くことができたのは、ここ20年で最も幸運なできごとだったと言い切れる。それだけに、違和感もくっきりと浮かび上がる。まっとうでいようとしているからこそ、ズレが大きく見えるのかもしれない。
ちょっとボヤかして説明すると、今の会社は社会課題を解決するビジネスを展開している。新規事業は基本的に社会の課題を解決できるかがポイントになり、例え売上が上がる見込みがあろうとも、社会課題を解決できないなら採用の見込みはない。それ自体は、個人的に好ましいと思っている。
社会的な課題とは何かというと、ひとつには人口減少問題がある。他国に先駆けていち早く高齢化を迎えるこの国は、2050年には人口が1億人を切る。65歳以上の人口は今より1,200万人増えるのに対し、生産年齢人口は3,500万人減少する。働き手が少なくなる一方、働けなくなる人はどんどん増えるわけだが、この国は外国人労働者を受け入れようとはしない。もちろん安価な労働者という意味ではなく、永住も含めて根付いてくれる人たちを歓迎する、という意味で。
国のふがいなさに憤り、企業が先陣を切って社会問題に取り組むのは悪いことではない。今のところ、私のいる会社はそういった意気込みを感じる事業に取り組んでいるし、実にまっとうにビジネスをしているように見受けられる。この先の、とあるアクションに違和感がある。いや、はっきり言おう。納得がいかない。社会課題を解決するとは、政府の意向に沿うことなのか?
目下、私が腹を立てているのはマイナンバーとインボイスだ。どちらもそれこそ「不要不急」だし、権力を握っている側にしか恩恵のない愚策だと言い切れる。とくにマイナンバーはひどい。ひとまとめにした個人情報を預けられるような信頼感は微塵もないし、さして不具合もない健康保険証を廃止してまで発行する価値などない。いつもどおり強行突破して施行しようとする非道な行為に、憎しみすら感じている。
これらの愚策は、はたして社会課題を解決しようとするために生まれたのだろうか。もしそうだとして、国民にも広く支持されているのだとしたら、一企業としてもその普及を前提としたビジネスを企画してもおかしくはない。しかし、私個人としては愚策だと断定しているこれらの政策に、国民も納得しているとは思えない。ほうぼうで反対する声は聞こえるし、マイナンバーに至ってはさっそくシステムの不具合で個人情報を流出させている。終わっている国の、終わっている政策に過ぎない。
この愚策に乗っかってビジネスを始めようとするのは、国の誤謬性神話に飲み込まれているとしか思えない。国は決して間違えない。国の政策はいつも正しい。もしうまくいかないのなら、それは現場(国民)がさぼっているからだ。だから我々が率先してビジネスを始めよう。そう考えているのだとしたら、この国がどうやって先の戦争に負けたかを学びなおす必要があるだろう。
国がやると言っていることが、正しいことだとは限らない。そんなこと、常日頃からビジネスの現場で真剣勝負をしている人なら、簡単に見抜けるはず。もし見抜いた上で腐った政策に乗っかるビジネスを展開するなら、それは「まっとう」ではないし、社会課題を解決する仕事ではない以上、働く人にもウソをついていることになる。見抜けなかったのだとしたら、それは単に愚かというだけのことだ。どちらにしても、会社への信頼感は失われる。だから、やるべきではないのだ、こんな愚策に基づく仕事は。
先にはオリンピックという汚職の祭典があった。2030年は延期されたが、冬季オリンピック誘致という恥の上塗りイベントも企画されている。時代遅れの万博やリニア開通、それに大阪カジノという頭の悪い施設も誘致されそうだ。こういった愚策にも、国の誤謬性神話にすがってビジネスを始める輩が湧いてくるだろう。自分がいる今の会社には、国のウソをきちんと見抜ける会社であってほしいし、事実としての社会課題解決に臨んでもらいたい。国は息をするようにウソをつく。少なくとも、この11年ほどはそうだったことを思い出してほしい。
Photo by Unsplash Steve Harvey