この記事を読んで、亡き父とその祖母のやりとりをふと思い出した。
キャリアの選択に「正解」も「間違い」もない。唯一の間違いは諦めること
就職氷河期の終わりごろに大学での就職活動時期を迎え、かなり苦戦しながらも何とか就職口を見つけた自分。たしか、100社くらいエントリーした記憶がある。大学4回生(関西ではこう呼ぶ)になったくらいのころに、内定をもらっていたある企業に行くことを決め、一旦就職活動をやめた。
しかし思うところがあり、内定を返上。夏前から50社くらいにエントリーしなおして就職活動を再開し、なんとか秋口に就職先を決めることができた。
結局そこはいわゆるブラック体質の企業で、長続きせず早々と辞めてしまったのだが、それからも転職先の会社に馴染めなかったり面白みを感じたりすることができず、大体2〜3年ほどで辞めることが続いた。
そんなことがあったある日、ひとつの会社で長く働き続けられない私に、祖母はこう言った。
「いい大学出て、いい会社に就職したのに働き続けられないなんて…。ちゃんと考えてるの? 何か間違えてるんじゃないの? せっかく勤められたんだから長く働きなさい。」
キャリアに「正しい」も「間違い」もない
当時からなんとなく腑に落ちず、歯痒い思いを抱えながらも、何故そう思うのかがわからなかった。それから5年ほど経ったころに、同じ内容の言葉を祖母に言われたことがあった。そばにいた父が「それは違う」と言い返してくれ、何故かを説明してくれたときに、ようやくその理由がわかった。
父はこう言った。
「結果的にうまくいかなかっただけで、仕事選びに正解も間違いもない。その都度自分のキャリアをしっかり考えて、納得した上で選んでるはずだ。だからこいつ(私)は、そのときに得られる情報の中で、最良と思う判断をしてると思う。そうやって選びとったものが失敗とか間違いだったなんてことは無い。」
何というか、これまでのモヤモヤが全て吹っ飛びました。
仕事のキャリアについて、「終わりまで見通せていて当たり前」みたいな人って、けっこう多い。これは将来就きたい職業について考えさせる学校教育の弊害なんじゃないかと思っている。
だいたい、若いうちに自分のキャリアって決められるものなのか。一度も働いたことがないのに。自分のキャリアなんて、人生が進んでいく内に何度もレールを変更して当たり前じゃないだろうか。何かの仕事に就いたら最後まで貫き通すのが当たり前で、少しでもレールを外れる選択をしたら「失敗した」とか「間違えた」という烙印を押されるのは、本当に気持ち悪い。
私が就職先を決めるとき、決して妥協したわけではない。無数にある選択肢の中から、自分が望むものに一番似ていて、当時描いていたキャリアに近く、本当に良いと思った企業を、自分で選んで入社を決めた。結果的に会社勤めは長く続けられなかったが、その当時の選択を、私は間違っていたとは思わない。
「正しい選択」なんてものは存在しないし、あるとしたら「正しかった選択」でしかない。あとでふり返ってみて、「自分の選択は正しかったんだな」とか「もうひとつの方を選んでいたら違ったかな」と考えることはあるかもしれないが、その都度しっかりと考えて自分で選んだ選択に、間違いなんてものはないと言い切れる。
人のキャリアを「正しいね」「間違いだ」と勝手に決めつけてくる人なんて、無視するのが一番だ。たとえ、身内であったとしても。
Photo by Şahin Sezer Dinçer on Unsplash