まだ何も始めていないのにアドバイスを求める人って、根本的に間違っていると思う。
やり始めてからどこかで詰まってしまい、にっちもさっちもいかなくなって、困窮した上でアドバイスを求めるのなら理解できるけれど、これからやろうとしていることに対してアドバイスなんてできませんよって話で。
なぜか最近「アドバイスしてほしい」とお願いされることが立て続けにあり、詳細を聞いてみれば “転ばぬ先の杖” としてアドバイスを求めていることがわかった。さらに深くツッコんでみると、自分以外にもいろんな人にアドバイスしてもらっていたことも判明。
さて、してもらったアドバイスを実践したのか聞いてみると、アドバイスをもらいはしたけれど納得いかなかったので試していないとのこと。「ああ、これはダメだな」と確信し、適当に流しておいた。
要するに、絶対に叩いても壊れない石橋のようなアドバイスを求めて彷徨っているんだろう。絶対に失敗したくないということなんだろうな。
アドバイスは行動の後に必要となるもの。動いてもいない人にできるアドバイスなんてない。
いい加減なアドバイスは害悪でしかない
アドバイスってかなり気を使う行為だと思うんだけれど、してもらう方はあまり意識しないものなのだろうか。
求められてそれに答えようと思った以上は、やはりためになるアドバイスをしてあげたい。きっちり答えようと思うと、悩んでいる相手の背景にあるものを聞いて、それを細かく分解して、何に悩んでいるのかをハッキリさせ、自分の経験や体験を元に、どうすれば対処できるかを結びつけて答えにするというフローが必要になってくる。
それって本当に大変な作業になる。相手に対してある程度の想いがないと答えられないことも多いし。
そうまでして考えた結果、「できるアドバイスが無い」という答えになることも往々にしてある。ちょっと心苦しいけれど、ヘタなアドバイスは役に立たないどころか害悪にすらなってしまうので、おいそれとは言えない。いい加減にアドバイスをしてもメリットはないですから。
いい加減なアドバイスの好例は「一般論」というやつ。
「とにかく頑張ればなんとかなるよ!」とか、「諦めないことが肝心だよ」とか。何かいいことを言っているようで、何も言っていないのと同じ。何の意味もない。
いいアドバイスをするには、相手を慮らないといけない。一般論で返すのは相手のためではなく、おそらく自分をいい人に見せたいがためであることが多いんじゃないか。「聞かれたからには何か答えないと!」なんて焦りの末だとは思うが、結果誰のためにもなっていない。
いい加減なことを言うくらいなら、黙っている方がよっぽど親切だと思う。
失敗したときの責任を押しつけたいのか
アドバイスには責任が伴う、なんていうと大げさに受け取られがち。
でも、自分がしたアドバイス通りに相手が動いて失敗してしまったら、少しは気になる。せっかくアドバイスするなら成功してほしいし。
まだ何も行動していないのにアドバイスしてほしがる人って、責任の所在を自分に置きたくないから相手に委ねたいのかもしれない。つまり「失敗の責任はアドバイスしてくれた人にある」としたい。そうすれば自分は楽だから。「アドバイス通りにやったのに失敗したじゃないか、どうしてくれるんだ!」って言えちゃいもする。
やっぱり、「アドバイスには責任が伴う」と考えておいた方が、お互いにとっていいんじゃないかと思う。
相手に責任を押し付けるためにそう思え、というわけではなくて、アドバイスする以上はその相手の身になって真剣に考えられるかを前提にしておいた方がいいだろうし、アドバイスを貰うのは自分の状況をきっちり説明してからにして、貰ったアドバイスを実行するときには責任は自分に移譲されている、と考えるべきじゃないかということ。
自分自身は気軽にアドバイスしないようにしているし、するにしても相手は選ぶ。自分が求めるときも、自分の頭で考えた末に困ったことで、かつ自分のことを話して親身に受け止めてくれる人を選び、かつ貰ったアドバイスは自分の責任の元で実践しようと決めている。
アドバイスって、そんなに簡単なものじゃない。するにしても、してもらうにしても。