「好き」の知識競争は不毛だ。

普段の会話の中で「自分は何が好きか」について話す機会が多い。当然、同じ趣味趣向のオフ会などではそれが加速する。

話している相手と同じものが好きだった場合、会話に花が咲くのでとても楽しいとは思うが、相手によっては「知識競争」に陥ってしまうことがある。要するに、その好きなことに対してより深い知識を持っていたり、深く語れることが重要視されてしまう。

なぜそうなってしまうのかというと、「好きなことは、詳しくなければならない」「好きなことは、語ることができねばならない」という前提を持っている人が多いから、なのかもしれない。

確かに好きなことならば、それについてもっと深く知りたいと思うのは自然だ。知ったことを人に語りたくなるのもよくわかる。自分だって好きなことは深く知りたいし、何ならこのWebサイトでおすすめできるくらいには語れるようになりたい。

だけど、好きだからといって、必ずしも詳しくなければならないとは思わない。好きの度合いにもよるし、そもそもそんなことで相手と勝負する必要もない。詳しく語れないのに「本当に好きなの?」なんて言われる筋合いは毛頭ないし、好きになることに資格がいるわけでもない。

「読書が好き」だからといって月に5冊しか読んでいないことをバカにされる筋合いはないし、メジャーな作家しか好きじゃなくても、それをとやかく言われたくない。評論家や批評家なら話は変わってくるのかもしれないが、何でもかんでも勝負に持ち込まないでもらいたい。ただ「好き」なだけでいいじゃないか。

好き≠詳しいということ

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