ITベンチャー界隈で、やたら使われる言葉のひとつに「ワクワク」がある。大抵の場合、それは意思決定の基準として用いられる。
つまり、「新しいことをはじめるなら、理屈じゃなくて、ワクワクするかを基準にしろ」という文脈でだ。
もちろん、考えただけで気持ちがどんよりとすることをやるより、ワクワクすることがしたいとは思う。だが、それにワクワクするかどうかは個人の感情の範疇であって、決して強制されるべきではない。
例えば仕事において、「理屈の上ではAという新規事業が成功する可能性が高いが、どうにもワクワクしない。その点、Bという新規事業は博打要素も強いが、爆発的に伸びる可能性も僅かながら感じられるし、何よりワクワクする。みんなもきっとそう思うんじゃないだろうか。どうせならワクワクすることをして、みんながモチベーション高く取り組める、価値あることをしよう!」という経営陣の意思決定により、そのワクワクすることを即座に始めることがある。
たぶん、ITベンチャー界隈ではよくあることだと思う。
一見なんの問題もないし、むしろロジックに縛られず、柔軟な発想と意思決定ができる見込みのある会社だと見ることもできる。
だが、そのときもし自分の心がワクワクしていなかったらどうだろうか。「自分はワクワクしていないんだけど、まわりの人は多少温度差はあれど、みんなワクワクしているみたいだ。うーん、それなら仕方ないか、やってみよう」そう前向きに捉える人もいると思う。
でも、スキゾイド気質を持つ自分にとって、これってけっこう飲み込めない事態なのだ。
スキゾイドパーソナリティの人間は、内面的世界を充実させることで、よりいっそうの幸福を感じられる傾向があるという。一方で、内面世界に土足で踏み込まれると即座にシャッターを下ろしてしまうことがある。なによりも心を侵食されるのを恐れてしまうからだ。
これはどういうことか。つまり、自身の抱いた感情を上書きされてしまうのが怖いのだ。ワクワクしないのに、「ワクワクするだろう?」と言い寄られて、同意も否定もできないうちに意思決定されてしまうことに耐えられないのだ。
昨今のワクワク至上主義とも呼べるこの圧力は、スキゾイド気質である自分のような人間には、耐えがたい苦しみを味わせる。論理で決めたことなら納得しようがあるが、感情表現の強要は心を擦り減らせてしまう。
「ワクワクする」「楽しい」「面白い」といった基準で行われる意思決定は、それに合致する人で構成された組織の場合のみ、正常に機能する。
耳心地の良い言葉だけに違和感なく受け入れてしまいそうになるが、あなたの感情はあなただけのものだ。だれにも代弁させてはいけない。
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