「成長」というマジックワード

ITベンチャーと呼ばれる企業で働きはじめて、早10年。誰もかれもが熱病のように使い、耳にタコができるくらい聞かされる言葉のひとつに「成長」がある。

成長とは、主に「しなければらならない」という文脈で使われる。圧倒的に成長しなければならないし、圧倒的な成長を望まなければならない。ちなみにこれは、会社はもちろん、一個人としても、チームとしても、事業部としても、だ。

生まれてこのかた、こんなにも成長を求められたことはなかった。学生時代でさえ、盛んに成長を謳う教師はいなかったし、日常のなかで成長を意識することもなかった。

それだけに、こうも繁殖する「成長」という言葉に違和感を抱かずにはいられない。 成長って、そもそも大人になった人間に使うような言葉なんだっけ?

会社は売上を立てて生き延びなければならないのだから、成長し続けないといけないことは、なんとなくわかる。その際に使われる度量衡は、もっぱら「金」だろう。去年より売上が増え、利益が増えているなら、それは一般的に成長していると捉えられる。成長を判断する軸が明確な数字だから、違和感は抱きにくい。

しかし、対象が人間ならどうだろう。昨日より今日の自分が成長していることを、どうやって示すのか。昨日できなかったことが今日できるようになれば成長しているといえるのか? 今月の個人売上目標は、先月よりも◯万円高かったが、難なくクリアできた。これは成長しているといえるのか?

自分が成長しているかを決めるのは、大抵の場合、他人だ。これまでの売上目標や、同年代の人の仕事ぶりなどと比べられた上で、成長しているかどうかを決められる。そんなことで価値を決めつけられ、違和感を抱かないほうがどうかしている。

成長とは、人が他人を都合よくコントロールしたいがためのマジックワードに過ぎないのではないかと思う。

「できないことにチャレンジしろ、そうすればもっと成長できるぞ」
「いいから俺のいうことを聞け。責任もってお前を成長させてやるから」

こういった耳心地のいい言葉に騙され、どれだけコントロールされてきただろうか。

人間は、業績が好調な企業のように、線形を描く成長などしない。かといって非線形のグラフでも描けはしない。人間にできるのは、グラフで表せるような成長ではなく、成熟なのだと思う。

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