同じ悩むなら具体的に悩む。

何か悩んでいることがあるとする。

それが仕事でも恋愛でも、モヤモヤを吹き飛ばすため、「ストレス解消」の名目で人はいろんなことをする。例えば買い物やエステ、食事や飲酒など、対処は人それぞれ。小動物と触れ合うことで心が癒やされるという人もいる。

でも大抵は、問題解決のためにそういった行動を取るわけではないはず。悩みは悩みとして置いておいて、とりあえずこのモヤモヤした感情をなんとかしたいがためにそうするらしい。

私はこの行動がまったく理解できない。

いや、意図は理解できる。モヤモヤしている状態が苦しいので何とかしたいから、という理由は。

これは「悩みを癒やしで上書きする」ようなものだと思うが、どうやら自分にはそれができないみたいだ。

感情を上書きしても何も解決しない

そもそも「癒やし」という感覚がイマイチ理解できていなかったりする。ハッキリとは覚えていないが、確か2000年頃に「癒し系ブーム」が巻き起こった。猫も杓子も癒やしだ何だとうるさかったことを記憶している。

確かに世知辛い世の中、いろんな悩みを抱えて苦しくなっているのはわかる。自分だって、今までまったく悩みがなかったわけではないから。

だけど、悩みをどこかに放置したまま、感情だけをカバーすることに何か意味があるんだろうかと思ってしまう。上書きしたところで元々の悩みは残ったままだし、何ならタダの現実逃避に他ならないのではとさえ思う。

悩みの解決に挑むには気力が足りず、まずは気持ちから前向きにしようとしてこういった癒やしに走る気持ちは理解できるが、癒された後に問題解決に望んでいる人は見たことがない。癒やしきれない、もしくは癒しの効果が切れるのを待って、また別の癒しで上書きを続ける人で溢れているようにさえ感じてしまう。

漠然と悩まず、具体的な解決法を探る

悩みはその大元と向き合うことでしか解決しないもの。借金に苦しんでいるとして、どうやったら返済できるかを考えずに解決することはできない。豪勢な食事をしても、うまい酒を飲んでも、小動物と触れ合っても何も解決しないし、ほとんどの場合、解決の糸口にすらならない。

悩みが漠然としている内は現実逃避してしまいがち。もし悩みを抱えたのなら、具体的に悩むことをおすすめしたい。

例えば先ほどの借金についてであれば、「こんなに借金を抱えてしまって、どうしよう……返せない」と悩むのではなく、「月にいくら支払えば何年で返せるだろう。生活が破綻しないレベルで返し続けるには、いくらに設定するべきだろう」と悩む方がよっぽど建設的だし、具体的な悩みは「目標」や「解決すべき課題」に切り替えることができる。

さらに重要だと思うのが、「悩み」というネガティブな要素を自分の中に溜めておくと、それはいずれ毒になって精神を蝕みはじめるということ。しかし「目標」や「解決すべき課題」というポジティブに変えることで、極端な話、「悩み」などというよくわからない感情を抱くことはなくなると思っている。

悩むことに意味なんてない

自分には悩みがあまりない。悩みそうになったら、すぐに「目標」や「解決すべき課題」に変えてしまうからかもしれない。

それこそ「目標」や「解決すべき課題」は山のようにあるが、それで苦しんだことは特にない気がする。目標がこなせないことに悩みはじめたとしても、その目標が分解されて、小さな目標に変わるだけの話。

そもそも、悩むことに意味なんてないと思っています。

傷ついた心は傷つけたものと対峙することでしか解決しないし、感情を上書きすることは、本質的に無意味だと思います。

自分は一度精神を壊したことがあることもあって、自分の中にネガティブな感情を溜め込まないようにしている。ネガティブになると人はどこまでも壊れ続けられるから。

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