「他者次第」の夢なんていらない

「認められたい」「愛されたい」「チヤホヤされたい」……。

以前はこんな夢ばかり抱いていたけれど、他者の思考に依存する夢は極力持たない方がいいなと実感している。どれだけ「愛されたい!」と思って努力しても愛されるかわからないし、案外努力せずに愛されてしまうことだってある。

他者次第の夢は、叶ったのが自分の努力のおかげだったとは言いきれないし、叶わなかった原因が自分の努力不足とは限らない。面接と一緒で、お祈りメールをもらっても「何が悪かったのか」「何が原因だったのか」はハッキリしない。だから、つかみどころがないし、報われもしない。

どうせ夢を抱くなら、「◯◯したい」といった自分主体のかたちにした方がいい。これなら、成すとも成せなくとも「自分事」として考えられるから。

他者次第の夢だと、それは自分がそうなるために努力するというよりは、「他者の思考を変えさせるために努力する」ようなものになりかねない。他人の思考を変えるなんて基本的に不可能だし、変えるかどうかは他人の問題。それは決して、自分の問題ではない。

そんなものを夢として生きていくのは、正直つらい。「みんなに愛される」ために尽力していたことがあるが、八方美人と罵られて逆に嫌われることもしばしば。「こんなにがんばっているのになんで愛してくれないんだ !?」と憤ったことだってある。相手を変えようと必死になっていたが、今思えば何の意味もない不毛な努力だったと思う。

他者との関係ありきの社会に生きている我々は、他者との関わりなしには生きていけない。でも、他者を変える夢を持ったところで、その夢を叶えるための努力は大抵の場合空回りしてしまう。「◯◯されたい」という不毛な夢は捨て、「◯◯したい」という自分志向の夢を抱く。その方がきっと、幸せになれる。

Photo by Stewart MacLean on Unsplash