定時を過ぎた社内。女性の社員が全員退社したタイミングで、ここぞとばかりにフーゾクの話をしだす上司がいる。やれ「あそこのキャバクラにはオレにゾッコンの女がいる」やら、「出張すると必ず行くオススメのヘルスがある」やら、誰も関心を示さない自慢話を始める。若い社員ほど食いつきが悪く、愛想笑いをしているのは目に見えているにも関わらず、フーゾク話をやめようとしない。ちなみにこれは2021年、コロナ渦中の都心部での出来事だ。
社会人として働きはじめて15年ほど。この期間に、会社いうハコはずいぶんと在り方を変えていったように思う。20代なかば頃まで社内は喫煙可で常に紫煙にまみれていたし、女性社員はモノ扱い。同じ仕事をしていても性別による賃金格差は広かったし、セクハラ・パワハラ・モラハラは日常茶飯事だった。2010年代に入るころには急激に環境が改善されていったように実感している。これは自身がIT業界に足を踏み入れていたからなのかもしれないが。
ちょっとしたきっかけがあって、ここ2年ほど旧態依然とした体質の残る企業に関わっている。業界的にも斜陽で、働く人は大多数が男、昭和を経験する年齢層が多数を占め、ITリテラシーも非常に低い。ホモソーシャルな組織と手を切ってしばらく経っていたこともあって、未だにこのような昭和の残滓がこびりつく会社が存在することに、驚きを隠せない。
彼らが自慢するのは、クルマや時計、ゴルフ、ガジェットとテンプレなものばかり。もちろんそこに「オンナ」も入ってくる。そう、女性をモノ扱いするところも、こういった「おっさん」の定番だ。そういえばこの会社の上司連中は、女性社員のことを「ウチの女の子」と呼ぶ。呼ばれるほうの女性の年齢は関係ない。30代〜40代の女性も一律で「ウチの女の子」だ。考えてみてほしいが、20代の新卒男性を「ウチの男の子」とは呼ばないだろう。完全にバカにしている。舐めている。女性を下に見ているのがよく分かる。
コロナ禍だというのに連れ立ってランチに出かけるのも、彼ら「おっさん」連中の定番行為だ。これは聞いた話だが、彼らはひとりで定食屋に行けないらしい。彼らは自慢できる環境にいないと自分の価値を示すことができない。彼らの価値は絶対的なものではなく、相対的なものだからだ。いじられる存在、すごいと褒めてくれる存在、奴隷のようになんでも言うことを聞く存在がいないと、自身の価値を示せない。それほど高くない定食屋でひとり飯を食うのは、彼らのプライドが許さないのかもしれない。取り巻きが彼らを傲慢にさせているとも言える。
そう考えると、フーゾクに連れ立っていこうとするのも同じ理由なのだろう。彼らは自慢していなければ存在意義を証明できない。傲慢であること、権力を振りかざすことで、相対的に自分の価値を高めようとし続ける。中身がからっぽだから、絶対的な自分を見てほしくないのかもしれない。そんな、ひどく哀しい生き物である。
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