東日本大震災の後、あの「悪夢の」第2次安倍政権がスタートしてからの約9年間、ずっと思っていたことがある。いっそのこと、この国が独裁国家ならよかったのに。
開催されれば黒歴史として日本の悪名が永年残る東京オリンピックの招致に際し、あのマスク2枚もまともに配れない凡庸な宰相は、最終プレゼンテーションでこう述べた。
「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」
安倍首相が五輪招致でついた「ウソ」 “汚染水は港湾内で完全にブロック” なんてありえない
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」
「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」
「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」
日本は直接民主制ではない。だが、仮にも国民の声を代表した人間がまつりあげたのは、あの118回も虚偽答弁を繰り返した稀代のオオカミ少年だった。結果的に国民はあのウソつき総理を擁立したことになる。それが耐えられない。
私自身、自民党や維新の会などというチンピラ集団に票を投じたことは人生で一度もない。たとえ大阪に住んでいたとしても橋下や吉村に投票することはないし、東京に住んでいても石原や小池を支持することはない。ありえない。
しかし民意は違った。憲政史上最長を達成するためだけに7年8ヶ月もの間トップの座にしがみつき、本当かどうかもわからない病気を理由に逃げ切ったあのボンクラを、その座に留めさせたのは結局のところ民意だ(私はあの男が本当に病気だったとは信じていない。118回も虚偽答弁を繰り返した人間の言葉を、どうしたら信じられるというのか)。
イソジンも雨ガッパも、毒舌気取りの作家も、自己演出にしか興味のないカタカナ語マイスターも、歴史修正主義弁護士も、みんな民意を得てその立ち位置に昇りつめた人間だ。だからこそ、この絶望的なまでの現実に嫌気が差す。
民主主義が奴らを生んだって? 民主主義がその程度の代物なんだったら、そんなもの無いほうがマシだ。いっそのこと、この国が独裁国家だったならよかった。それなら、いくらでも奴らを憎むことができる。いくらでも連帯を組んで闘っていけるし、なんなら世界の支援も得られるかもしれない。
でも、残念ながらこれは民意によるものだった。この低い投票率でどれだけ民意を反映できているのかという問題はあるにせよ、相対的に多い、一定の民意を得た上で表に出てきている。
奴らには大義名分がある。「わたしは民意を得てこの立場にある。悔しければ選挙で勝ってみよ」。たしかにそのとおりだ。だが、私は認めたくない。私が奴らを支持したことは一度もない。一秒すらないと言ってもいい。
民主主義は多数決だなんてウソがよくまかりとおっているが、それは違う。為政者は自分を支持しなかった人も含めて、良く統治していかなければならないはずだ。自分を支持しなかったのは間違いなのだ、と思わせるような善政を敷かねばならない。
そういえば例の虚言癖政治屋は、2017年に行われた東京都議選の応援演説で、自分たちを激しく批判していた人たちに対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とのたまったことを思い出した。あの凡庸な男は、仮にも国のトップとも言える総理大臣という役割にあったにも関わらず、自分を批判する人を守るべき対象と捉えず分断した。この淀んだ人間が、ついに越えてはならない一線を越えたと、このとき私は感じた。
このチンピラたちは、為政者であるにも関わらず、いとも簡単に人々を分断する。自分を支持する人は守る、それ以外は保護対象ではない。そんなことを平気で行う。それが倫理的に、論理的に、科学的に正しいか、ではない。判断材料は「オレを支持するのか」だけだ。たとえ選挙で票を集めようが、私はそんな人間を支持しない。
個人としてはそれでいい。だが、民意は奴らを選んでいる。民意が愚物を選ぶといえば、ヒトラーを思い浮かべずにはいられない。あの怪物も民意によって生まれた。これが何を意味するかーー。民意は完璧ではないということだ。
民意はたやすく間違える。明るいキャッチコピー、美しいマニフェスト、自己PRのうまい人間によるスピーチ、顔がいい以外に取り柄のない人間のベストショット……。こんなプロパガンダにたやすく騙される。民意によって選ばれたからといって、それが完全なる支持を得ているということとイコールではない。
「ステキな広告」に釣られて買った物が、ゴミ同然の品だったということは往々にしてある。政治だってそれと一緒だ。「やってる感」を出しているだけで、実は何もやっていない、正確には自分とお友達に利益のあることだけやっている、なんてことがこのコロナ禍に平気で行われてきたのは、誰もが知っているはずだ。
民意は間違える。たやすく間違える。だから、選ばれた人間なんだから従わなければならないし、きっと正しいんだーーなんて思わなくていい。気の迷いで選んだ人がクズだなんてことは、よくあることだ。私は奴らを支持しない。民意で選ばれたのだとしても支持しない。この期に及んでオリンピックを開催しようとする人間を支持なんてしない。分断を煽る人間を絶対に支持しない。
もう風前の灯レベルまで廃れてきたとはいえ、この国は法治国家だし、まがりなりにも民主主義を標榜している。でも、最近こう思ってしまう。いっそのことすべて失って、完全な独裁国家になってしまえばいいんじゃないかって。失ってはじめて、民主主義が大事だったんだって気づく。このうらびれた情けない国には、そんな零落が必要なのかもしれないなって。
Photo by João Marinho on Unsplash