権力者に自ら隷従したがる私たち ーー 『自発的隷従論』を読んで

斜陽の日本。凋落の一途を辿るこの国を、いかにソフトランディングさせるかを語る本ばかり読んでいる昨今。昨日読んだ『自発的隷従論』という本が実に刺激的だったので紹介しておきたい。

今の政権与党は「圧政を敷いている」と言い切っていいと思う。2012年あたりのから年々その傾向は強まっていると思うが、依然として支持率は高い。直近で言うと、あのパンケーキの支持率は33%だ。新型コロナウイルスへの対応を評価しないという声が67%もあるのに。解せない。支持率が3.3%でも、まだまだ多いと思うほどだ。

内閣支持33%に急落 コロナ対応に不満 朝日世論調査

世界はいつだって圧政に満ちている。圧政がなかった時代など存在しない。反旗を翻す国民が圧制者を打倒する快挙も時折あるとはいえ、いつの時代も人々は隷従に甘んじている。

あのパンケーキがまともな日本語を話さず、答弁を差し控え続けても文句ひとつ言わない。壊れたテープレコーダーのように「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として」オリンピックを開催すると寝言を吐き続け、取ってつけたかのように「東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」などと白々しいことを抜かす。それでもメディアは抵抗しないし、人々は沈黙を続ける(もちろん、Twitterデモが行われていたり、抵抗しようとしているメディアがいたりすることは知っていますよ)。

なぜこのような暴虐に無言でいられるのか。望めば手に入る自由を捨て、なぜ自発的に隷従しようとするのかーー。支配者につきまとう金魚のフンたちが圧政をかいがいしく支え、民衆は自発的に隷従する。16世紀に生きたフランスの一法官 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシが、10代の半ばから終わりにかけて書き上げたとされるこの『自発的隷従論』には、そんな21世紀の今も通じる論考があざやかに描かれている。

自発的な隷従とは、人々が自ら望めば手に入る自由をあっさり放棄して、圧制者に自発的に従ってしまうという状態を示す。圧制者とはなにも、100人がかりで飛びかかっても倒せないような巨人ではない。寄らば斬るがモットーの人斬りでもないし、近づいただけで萎縮してしまうようなオーラに満ち溢れているわけでもない。

ボエシは言う。

そんなふうにあなたがたを支配しているその敵には、目が二つ、腕は二本、からだはひとつしかない。数かぎりない町のなかでも、もっとも弱々しい者がもつものとまったく変わらない。その敵がもつ特権はと言えば、自分を滅ぼすことができるように、あなたがた自身が彼に授けたものにほかならないのだ。

『自発的隷従論』22ページ

言われてみれば、たしかにそうだ。パンケーキにしても、マスク2枚も配れない凡愚にしても、一時的に強い権力を付与されただけの人間だ。権力を授かったからといって、その人間に隷従しなくてはならない理由はない。よくよく見てみれば、ニヤニヤ卑しく笑う表情が貼り付いただけの老人に過ぎない。なぜこんな人間に従わなくてはならないのか。冷静に考えてみると、何一つ理由が思い浮かばない。

『自発的隷従論』を監修する西谷修氏は、巻末の解説でこの本の「いま」読むことの意義を強く述べている。私もそう思う。コロナ禍にオリンピックを開催しようとするパンケーキや、勝手にその座を降りたにも関わらず未だに改憲改憲とうるさく吠える虚言癖の元宰相、その他にもイソジンやら雨ガッパやらカルタやら、狂った為政者が蔓延り続けるこの国で、「いま」この本が読まれなければならないことがよく分かる。

奴らに従うべき理由がどこにあるのか。圧政に隷従しなければならない理由がどこにあるのか。久しぶりに、自分の死んだ眼に光が宿った気がしている。

10代の青年に「隷従してんじゃねーよ」とバカにされているんだぜ? もう黙ってなんかいられるか。

Photo by British Library on Unsplash

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