「おい、今日仕事終わったら飲みに行くぞ」
「今日は本を読む予定があるので無理です」
「はぁ? 何言ってんだ、本なんていつでも読めんだろ。バカ言ってないで飲みに行くぞ」
「…………」
コロナがやってくるまでは、こんなやりとりがよくあった。どうでもいい人とのどうでもいい飲み会より、楽しみにしている本を読む時間に充てたい。本好きなら誰しもそう感じているんじゃないかと、勝手に思っている。
本なんていつでも読めると思っている人は、実際のところ、本当に「いつでも」本を読めているんだろうか。賭けてもいいけど、絶対読めてない。というか、読んでない。
自分は読みたい本があるとき、あらかじめスケジュールに組み込むようにしている。「19時〜22時:読書」といった具合に。そうでもしないと、本を読むのに使う時間なんて、たやすく失われてしまう。そう、本は「いつでも」読めるものじゃないのだ。
仕事のあとの飲み会、フットサル、デート、買い物……たいていの人はきちんとスケジュールを押さえておくだろう。だが、なぜか読書は押さえるべきスケジュールだとは思ってもらえない。これはゲームも同じかもしれない。でも不思議なことに、「映画を観たいから」だと理由になる。なぜだ。
コロナ禍で、「本を読みたいから」という断りの理由付けは通用しやすくなった気がするが、これは暗に「ああ、こういう時期だし、あんまりつるみたくないですよね…」と勝手に察知されているだけとも言える。本を読むことの地位が向上したわけではないから、このパンデミックが過ぎ去った遥か未来の世界でも、また同じような言葉を聞くことになるんだろう。
「はぁ? 何言ってんだ、本なんていつでも読めんだろ。バカ言ってないで飲みに行くぞ」
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