「偉い」という形容詞の使い方が、アラフォーに近い歳になった今もよく分からない。具体的な誰かを偉いと思ったことがないし、世間で偉いと呼ばれる人を前にして何か思うこともない。偉いっていったい、どういうことなんだろうか。
ひとまずネットで検索してみると、以下のように書いてあった。
えら・い【偉い/▽豪い】 の解説
[形][文]えら・し[ク]
1 普通よりもすぐれているさま。㋐社会的地位や身分などが高い。「会社の―・い人」
㋑人間として、りっぱですぐれている。「苦労しただけあって、―・い人だ」
2 物事の状態が普通ではないさま。
㋐程度がはなはだしい。ひどい。「今日は―・く寒い」「―・い混雑だった」
㋑予想外である。ひどく困ったさまである。「―・い目にあった」
㋒苦しい。つらい。しんどい。「歩きどおしでからだが―・い」
[派生]えらがる[動ラ五]えらさ[名]
類語
偉大(いだい) 立派(りっぱ)https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%81%89%E3%81%84/
ふむ。
真っ先に出てくる説明が「普通よりもすぐれているさま」であり、その内訳のひとつが「社会的地位や身分などが高い」、もうひとつが「人間として、りっぱですぐれている」ことだそうだ。
普通より優れているという説明に出てくる「普通」がどんなことかよく分からないが、とりあえず会社を例に考えてみる。例えば部長職の人間がいるとする。その人はおそらく一般職の人よりも「偉い」とされる。部長職は管理職なのだから、実務というよりはマネジメントに長けている人が就くのだろう。つまりマネジメント能力が普通よりも優れているから偉いのだと言える。
しかし、営業スキルに関しては営業職が、事務処理は事務職が、開発はエンジニア職に携わる人のほうが、当の部長よりも優れている蓋然性が高い。やはり普通が何を指しているのか分からないが、みなそれぞれ、普通よりも優れていると言えるのではないか。つまり、みんな「偉い」と言ってもよさそうだ。
そもそも役職というのは単なる役割に過ぎないのだから、職位の上昇が人間として立派で優れていることと比例するわけではない。部長は人をまとめるのが得意で、最大限のパフォーマンスを発揮できるから部長職に就いているのだろう。そこで得られる多くの金銭や評価は、担う責任の重さできっちりペイされている。結局のところ、人それぞれの適正や意思に準じた仕事をしている分には、誰かが特別優れていて格別に偉いなどと言えないと思う。
多大なリスクを負いながら社会を良くする事業に取り組んでいる人に対して「すごいなぁ」と思うことがある。ひょっとするとこれは「偉いなぁ」と言い換えられるかもしれない。でも、ここで使っている「偉い」は、先の説明で言うところの「社会的地位や身分などが高い」でも「人間として、りっぱですぐれている」でもないと思う。普通より優れているから偉いのではなく、上記引用2の「物事の状態が普通ではない」から、その人は偉いのだと私は感じているらしい。
ひどく辛い思いをしながら、何かを良くしようと働きかける様。それを見るにつけ、「すごいなぁ」と思うわけだが、その実態は私の中で「偉いなぁ」とほぼ同義である。穿った見方になるかもしれないが、身の丈に及ばない、少し背伸びをしながらの行動に対して人は、「すごい」もしくは「偉い」と思うのかもしれない。
もっと言うなら、その行動が何か実を結んでいるから「偉い」と思うのではなく、そのプロセスに対して「偉い」と感じているフシがある。最終的に心折れて断念したとしても、チャレンジ精神を称賛したくなる。そういった人たちは「偉い」と言ってもいいのかもしれない。
つまり、自身のなかで「偉い」という形容詞はプロセスに対して使う言葉だということだ。現時点で部長職だから、経営者だから、政治家だから、総理大臣だから、無条件に「偉い」とは感じない。そこに至るまでのプロセスが妥当…というか過剰で、「すごいなぁ」と思えてはじめて「偉い」と感じられる。だから、明らかに能力不足なのに、世間的に地位が高いと呼ばれる位置に立つ人を「偉い」とは感じられないのかもしれない。そういう人は得てして、「偉い」のではなく「偉そう」に見える。
先の検索結果を眺めながら、「えらい」は「ひどい」とニアリーイコールになっているのが面白いと思う。偉いとは、何かが過剰なことなんだろうな。この9年ほど日本のトップに立っている政治団体の長たちは、たしかにえらい。もちろん、役割に対して能力が低すぎて、あまりにひどいと言う意味でだが。
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