雑な言葉づかいは、受け手への暴力
言葉をていねいに扱わない人が苦手だ。
やたら誤字脱字が多かったり、ガンガン表現を端折ったり、伝えようとする気概が感じられない人は、特に。こういう人って、読み手や聞き手に負担をかけることを何とも思っていないのだろうか
「私がホントに言いたいこと、何となくわかるでしょ? ほら、必死に頭ひねって理解しなさい」と言われているようで、正直辟易とする。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えていたある日、こんな記事を読んだ。
紳士服を取り扱うはるやま商事のブランド「P.S.FA」(パーフェクトスーツファクトリー)にて、入社1年目からトップクラスの売上を叩き出している社員のエピソードが綴られている。
途中、お客さんへのアプローチの技術が語られている箇所があり、そこに書いてあった言葉を読んで、思わず「確かに!」と頷いた。
「試着できますよ」はNG。「試着できないアパレル店なんてないですから」
試着できるなんて、言われなくても分かってる
アパレルショップに足を踏み入れて、掛けられる最初の言葉は十中八九、この「試着できますよ」。親切にも思えるこの言葉、冷静に考えてみると、まったく意味を成していなかったりする。
今日日のアパレルショップにおいて、試着できない店なんてまず存在しないだろう。買う前に試着できることなんて、お客さんは間違いなく分かっている。こういった吟味されていない言葉は、無意味を通り越して無粋、かつ不誠実とすら感じてしまう。
ECサイトでモノを買うのが当たり前になり、リアルな店舗で服を買う人が減っているとはいうが、客離れを引き起こしているのには、こういった事情も関係しているんじゃないだろうか。
こういったアパレルショップや、見ればわかる当たり前のことしか言ってこない家電量販店に自分が行かなくなったのは、吟味されないままにとりあえず発しただけの「不誠実な言葉」に、辟易としていることが大きな理由だ。
発した言葉は自分を縛る
私が以前所属していたある職場では、「MTGで黙るな、何でもいいから話せ」という暴力がまかり通っていた。
ブレストのようなアイデア出しの場でならまだしも、言うべきこともないのに「ムダでもいいから、とにかく何でも口に出す」ことに、メリットがあるとはまったく思えない。
言葉は、口に出したり、文字として書き出した瞬間から強い力を持つ。良くも悪くも、人は言葉に縛られる。だから、たいして思い入れもない言葉を軽々しく表に出すことは避けた方がいいと思っている。
そうした薄っぺらい言葉を表に出せば出すほど、発した人の価値を下げていくのではないだろうか。
言葉を吟味するということ
自分だけに向いた言葉ならいざ知らず、誰かに何かを伝えたい、わかってほしい、興味を持ってもらいたいと思うのなら、言葉は吟味すべきと心得る。
話す前に一拍置く。
書き出す前に筆を一瞬止める。
声を掛ける前に言葉を練る。
送信ボタンを押す前に読み直す。
そこまでしてやっと、人に伝わる言葉がにじみ出てくる。脊髄反射で言葉を発しない。言わなくても分かる、見れば分かる、言う必要がないくらい当たり前すぎるなら、あえて言葉にしない。言葉を吟味した上で、言葉にしないという選択もあり得る。
言葉の呪縛は、怖いものだから。
Photo by Davide Santillo on Unsplash