もはやテンプレと化した「日本の○○なところが嫌いなんだよね」→「日本が嫌いなら出ていけよ」というやりとり。ウンザリする。まったく会話になっていないし、建設的な要素が微塵もない。向こうは何故だか論破した気になっているし、もはや折り合おうという気持ちにもならない。
こういった手合いは、その考えが自分の首を絞めることになると分かっていないのだろうか。コロナ禍の日本がまさにそうだけれど、為政者がポンコツでろくな政策を打ち出せなくても、彼らはけっして否定できない。なぜなら、今度は自分が「嫌なら出ていけ」と言われてしまうからだ。彼らは一生、日本の為政者に隷従するほかない。これほど価値のない生き方が他にあるだろうか。
批判の声を潰せば、たしかに一時的には愛国心的なものに満ちたきれいな国が仕上がるかもしれない。しかし、その国では一切の批判が許されない。批判すれば「出ていけ」と言われてしまうからだ。そう遠くない内に為政者は独裁をはじめる。独裁はダメだって? じゃあ出ていけばいいじゃないか。さぁ、あなたはどうする?
「嫌なら出ていけ」に類似した言葉に、テレビ番組に対しての「嫌いなら観るな」がある。ことエンタメの分野であれば、それでも成り立つことはあるだろう。視聴者に一定の母数があれば、それ以外を無視してもマネタイズにつなげられるだろうから。
しかしこれが国レベルになると、そうも言っていられない。嫌いだからと無視しようとも、どうやったって生活に関わってくる。はっきりと実害があるんだから、批判の声を上げて当たり前だ。「嫌なら出ていけ」と言われたところで、議論になっていないんだから応答する必要もない。進んで奴隷になろうとしている人と関わる必要がない。
というわけで、こういったテンプレワードで論破した気になっているチンピラの声は総じて無視していい。いや、いっそのことこう言ってやれ。
「うるせぇ、黙ってろ。出ていくかどうかは自分で決めるわ」
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