結婚式で当事者がよく使う「笑顔の絶えない家庭を築いていきます」という言葉。求人情報で見かける「笑顔にあふれた職場です」という表現。とても居心地の悪い言葉だと感じている。いや、もっとあけすけに言うなら、ただ気持ち悪い。
一般的に、笑顔は喜ばれこそすれ、嫌われることは少ない。ムスッとしている人より笑っている人のほうが好まれるのは分かるし、私自身も笑顔そのものが嫌いなわけではない。ただ、「笑顔が絶えない」「笑顔にあふれた」状況がすこぶる嫌なのだ。
笑いには強制力がある。笑顔が絶えない状況では、笑っていないと浮いてしまう。変な人だと思われるし、なんなら空気が読めないやつだと扱われる。笑いって、ただの感情表現でしかないのだから、みんながみんないつも同じ状態になるなんて考えにくい。怒ってもいいし、悲しそうな顔をしたっていいはず。
……ああ、そうか。だから嫌いなんだ。感情を強制されるから気持ち悪く感じるんだ。
笑いについては、たびたび考えることがある。このコロナ禍で無観客のライブが行われることがあったが、おそらく笑わせようとしているだろう内容のMCを見たとき、「ここで笑っていいんだっけ?」と戸惑ったことがある。
ひとりでライブ中継の画面を見ているわけだから周りに笑っている人はいないし、バラエティ番組でよくある録音笑いもない。そのとき、自分は誰かの感情につられて笑っていただけなのだと気づいた。考えてみると、自分が笑いの出発点だったことはない気がする。
そういうときって、「あ、今自分は笑っているな」と意識していることが多い。感情が吹き出しているんじゃなくて、感情をつくっている。自身の感情を客観的に意識できている。その笑いに気づいたときって、なんだか居心地が悪い。
つくることができる感情って、「笑い」だけなんじゃないだろうか。怒りや悲しみは大抵発作的に起こるものだけれど、笑いだけはたやすく偽ることができる。だから、自分はこの感情を信頼できないのかもしれない。
もし自分が冒頭の立場に立たされたなら、「基本的には真顔で、感情に流されず、まっとうな思考で対話できる関係を望みます。楽しいと感じたら笑うし、それは違うんじゃないかと思ったら真面目な顔をするし、絶対ダメだと感じたら怒ります。そんなお互いを尊重し合った家庭を築いていきます」と述べて、盛大に顰蹙を買いたいと思う。
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