ふと思ったことがある。男はもういい歳のおっさんになっても、「少年のような心を持っている」ことがなぜか肯定的に捉えられがちだ。ただ単に「大人になりきれないダサい人」と自分は考えているが、どうやら世間ではそうではないらしい。
これはもう自分のなかで確信に近い判断軸なのだが、女性/男性で区別されている慣用句で、男女を示す言葉を入れ替えたときに違和感バリバリになるものは、その言葉自体が間違っていると解釈している。
先の「いつまでも少年のような心を持っている男性」を女性に変えると、「いつまでも少女のような心を持っている女性」になる。どうだろう。こんな言葉、聞いたことがあるだろうか? 私は違和感バリバリだ。
別に女性はいつまでも少女の心を持っていてはいけないと言いたいわけではなく、基本的に人間というものは、年相応に成熟していく姿が一番美しいと思っていることが前提にある。
年齢を重ねて培った能力や経験は、新しく世に出る若い人たちの柔軟な思考をサポートするために使う。いい年をして「ガキ」のような振る舞いでやんちゃしたり、いつまでも若ぶって顰蹙を買いまくるような大人は、はっきり言ってダサいと思っている。
さて、今回筆を執ったのは子ども心/成熟問題について述べたかったのではなく、あくまで「男女を示す言葉を入れ替えたときに違和感バリバリになるものは、その言葉自体が間違っている」という点について書いておこうと思ったから。いくつか慣用句を並べてみよう。
- 男が廃る
- 男を下げる
- 男は度胸、女は愛嬌
- 男は松、女は藤
- 女心と秋の空
- 女の知恵は鼻の先
- 女は三界に家なし
- 大根と女房は盗まれるほど良い
- 女房と畳は新しいほうがよい
どうだろう、入れ替えると成立しそうにない言葉ばかりじゃないだろうか。というか調べてみてわかったが、男に関する慣用句はメンツに関わることばかりだ。ヤクザかよ。男というものが実にダサい生き物であるかがよく分かる。
逆に女性は、これでもかという程、ひどい言葉を投げかけられている。女はすぐに心変わりするし、知恵がないから先を見通せないし、この世のどこにも居場所はないし、他人に手を出されると株が上がる。最終的には新品の女のほうがいい、などと言われる。ひどすぎる。
こうやって見ると、こういう格言めいた言葉はたいてい「おっさん」が勝手に拵えたんだろうなと分かる。なぜなら、大抵は男目線だからだ。男性が自分で「男が廃る」「男を下げる」とは言うだろうが、女性が自分で「女の知恵は鼻の先」「女は三界に家なし」なんて言わないだろう。男の都合のいいように慣用句が生み出されてきたことに居苛立ちを隠せない。
だから、当たり前のように使っている言葉をもっと疑ったほうがいい。特に性別を固定するような、男性を持ち上げるような、女性を貶めるような言葉は疑ってかかるくらいで丁度いい。
少年のような心を持つおっさん?
「……うわ、ダサ。気持ち悪い」
そう思ってもらってかまわない。